「毛がないね」5歳の姪の一言に、周りが一瞬凍り付きました。
1年ぶりに遊びに来た叔父さんが、楽しい時間を終え、玄関で靴を履こうと屈んだ時のことです。
大好きな叔父さんが帰るというので、名残惜しい彼女は、最後におんぶして貰おうと、叔父さんの背後に回ったのです。
背の低い彼女にとって叔父さんは、いつも見上げる存在です。ですから、今まで頭頂部を見ることもなかったのです。
姪が言ったことは間違ってはいないのです。事実、叔父さんの頭頂部は綺麗に毛がありません。
運が悪かったのは、彼女の周りに頭の薄い人がいなかったこと。初めてそういう頭頂部を見たのでしょう。
ですから「毛がないね」は素直な彼女の感想だったのですが、こういう時、大人はどんな風に返事すれば良いのでしょう?
「違うよ」っというのも事実ではないし、「そういうことを言ってはダメよ」と言うのも何だか違う気がして、絶句してしまった私。
返事に窮していると、無邪気な姪は「おじちゃん、ここ、寒くないの?」と、ニコニコしながら、頭頂部のその部分を手で触りました。
きっと冷たくなっていたのでしょう。

何かを思いついたように玄関から家の奥に走っていって、さっきまで投げていたカイロを持ってくる彼女。
その時点で嫌な予感はしたのです。

私が止めれば良かったのですが、スキップで戻ってきた彼女は「これで温かいよ」と座っている叔父さんの頭にカイロを置いてしまったのです。
心の中では「ダメー!」と叫んではいたものの、頭頂部にカイロが置かれているという、たぶん一生に一度も見ない光景に不謹慎にも笑いがこみ上げました。
悪気は一切ないのです。彼女なりに大好きな叔父さんの頭を温めてあげようとしただけなのです。
その悪意のない無邪気さに、カイロを置かれた叔父さんは怒ることも出来ず、また取ることも出来ず、のっけたまま車に乗り込む姿がまた哀愁を帯びていました。

満足げに手を振る彼女・・・。
その彼女も今年中学生。あの時のことは覚えてないようですが、今でも叔父さんのことは大好きです。
hokkairo

絵画というと、昔はお金持ちの人が購入するものというイメージがありましたが、今は、全く違います。
インターネットで、手軽にお手頃な価格で購入できます。
私は、絵が大好きなので、自分で絵を描いて、委託販売をしていますが、アートは、とても身近なものです。
特に、抽象画が好きで、ゴッホやエリック・カールの作品を見ると、なんとも言えない気持ちが沸き上がってきます。
絵は、自分自身が全て表現されるので、どんなに取り繕っても、嘘はつけません。
ゴッホの絵を見ると、とても悲しい気持ちになることがあります。
きっと、ゴッホは、人にバカにされても、自分の作品を心から愛して、心が病んでしまっても、生涯、本物の画家を貫いた、素晴らしい人だと思います。
エリック・カールは、世界中で読まれているとても素晴らしい絵本を作っていて、私は、絵本を読みながら、何度も涙が溢れてきました。
私も、絵本を作りたい!と思って、何度も作りました。
絵は、本当に奥が深くて、長い人生をかけても、最期まで分からないものなのかもしれません。
どんなに素晴らしい作品でも、売れないこともあります。
絵画の本当の価値は、無限に広がる宇宙のように、未知なるものなのかもしれません。
私は、本格的に絵を描き始めて4年ですが、一度だけ友人と一緒に絵画展をさせて頂き、とても勉強になりました。
友人は、指絵師なので、筆を使わず手を使ってキャンバス全体に描きます。
海外でも評価されていて、本当に凄いなと思います!
写実のプロの方とも仲良くさせて頂いていて、色々とアドバイスをして下さいます。
絵を描き始めた頃は、もっと上手く描けるようになりたいと思っていましたが、最近は、自分にしか描けない優しい絵を描きたいと思うようになりました。
私は、絵を通して、たくさんの出逢いがありました。
最近の目標は、自分の描いた絵を見て、少しでも癒されたり、元気になってもらえることです!
今は、絵を描くことで、心にも良い影響があると言われています。
心の病気になってしまった人が、表現することによって、ストレス解消になったり、小さな子供たちの発想力には本当に驚かされます。
アートは、世界共通です。
言葉が通じなくても、絵や音楽で自然と笑顔になったり、幸せになる不思議な力があります。
私は、これからも、ずっと絵を描き続けたいと思います!
そして、自分がお婆ちゃんになった時に、個展を開いたり、ひなたぼっこしながら、油絵をのんびり描きたいです。
絵画って、本当に素晴らしいものですね!